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インド紀行(7)

 
 

 

 朝陽を浴びながらヤムナー河の鉄橋をMARDAR.EXPRESSはゆっくりと渡っていく。 

遠く微かに朝霞のなかにタージ・マハルが浮かんでいる。幻想的な光景だ。

 列車は約30分遅れでそろりとAgrafort駅に滑り込んだ。アーグラ城の赤い壁を見渡す天蓋のある大きな駅でる。なぜかヨーロッパの中央駅をイメージするのは私だけであろうか。

 アーグラーには大きな駅が3ヶ所ある。一般観光客がよく利用する、ニューデリー発6時18分のShatabdi Exp.が8時12分に到着する中央駅のAgra Canttと、もう1つはAgra city駅である。

 夜行列車で親切にしてくれたシャンカールさんともここでお別れである。彼は鉄道車両技師であり、Vanarasiで気分的にブルーになっていた私たちを笑顔で迎え、寝台の変更や夜食の注文などを快く手伝ってくれたのだ。また、私たちだけでなく寝台車を間違えたおばあさんを案内するなど、あらゆる人にホスピタリティーなこころで接する彼のような、すばらしいインド人と出会えたことは大きな収穫であった。私たちのこころも大いに癒された。彼とこのまま列車で、次の目的地であるジャイプールまで旅を続けたい感傷に駆られるが、タージ・マハルは今回研修旅行のハイライトでもあり、名残惜しみつつ見送ることとなった。

 彼には終着地であるラジャスターン州ジョードプルまで、これからまだ12時間の旅路が残っている。


 私たちは、オートリク(キ)シャー(三輪車)に乗車し、右手にアーグラー城を回遊しながらヤムナー河沿いを南下し、 タージ・マハルに向かう。街中を抜ければ西門
に近い距離にあるようだが、周囲約500mは自動車バイクの進入が禁止されているためと称し、わざわざ遠周りをし、正面からではなく東門に向かうブルーバードの駐車場で降ろされた。ここでADA(インド考古学局文化財保存協力金)Rs250と入場料Rs500を支払いカメラ以外の荷物をロッカーに預けて入場する。タージ・マハルはここからまだ約500mやや下り坂の道の遥か向こうにある。徒歩もしくは大きな有料電気自動車(カート)のシャトルで行くのが普通だが、私たちはインドらしくサイクルリキシャーで運転手を冷やかしながらのんびりと向かうこことした。このリクシャーという表現は、日本の人力車から呼称されているということなので、自転力車と云う意味である。行きは下り坂でなので3人乗せても軽やかに進んだが、さて帰り道は? と思いつつ爽やかな早朝の南風にこころ踊りながら東門に到着し入場を果たした。
 前庭は赤い回廊で囲まれたところで、南門(正面)外の賑やかな土産物通りとは一線を画し、静寂が漂っていた。ここは周知の通り、ムガール帝国第5代ジャー・ジャハーン(1628〜58、江戸初期寛永年間)の時代に建てられた愛妃ムムダーズ・マハルの墓所である。

 いよいよ正門の開扉口を通してシンメトリーに整然と手入れした庭園の奥に、高さ65m
白亜のタージ・マハルが浮かんでいた。まさしく異界に佇む、永遠の誓いの象徴として建築されたことがよく分かる。

 すばらしい! すごい! 感動的だ! ・・・・・・・溜め息と 感嘆詞ばかりである。

 精緻な象嵌や宝石が細部にまで埋め込まれている。窓の繊
な彫刻もすばらしい。巨大な建物全体が世界一級の工芸品であ
る。

 殿上に入るには土足は厳禁である。上履きもしくは厚めの靴下を履かないと火傷しそうな大理石を踏みしめながら殿内に入ると、優しくひんやりと足下は冷やされ、巨大ドームの下で眠る 王と王妃の棺に迎えられる。

ムガール帝国の財力を傾け、22年の歳月をかけて世界中から大理石をはじめ多くの貴石と職人を集め1653年に完成したとされている。



タージ・ビューHでブランチを済ませ、午後からアーグラー城を見学し、土漠の中をジャイー
プールへと約220kmひたすら車で移動する。





 











 


































 

タージ・マハル  Taj Mahal in Agra

Cool & Lucks Takasago